私が学んだところでは、
お釈迦様の時代には、インドは暑いですから、袈裟だけを着ていました。
糞掃衣(ふんぞうえ)といいます。
これは、悟りを目指して修行をする僧侶は一切の囚われを捨てる解脱を目指すからです。
解脱については、またの機会に解説致します。
糞掃衣は道に捨ててある、布切れを拾い集め
自分で縫い合わせた物を着ました。
使い古された色がよく濃い茶色が近いです。
お坊さんの袈裟が縦横に区切られたデザインであるのはあの縦が何筋がで七つなら七条、九条、二十五条などがあります。
今でも比叡山では、中国天台の第六祖、荊渓湛然の七条袈裟が寺宝として守り伝わっています。
インドは暑いので袈裟で、寒い日もあるので
上半身の袈裟、腰周りの袈裟、眠る時や寒い時にかける袈裟の三つと托鉢に使う鉢は持っていい物でした。
よく言われる三衣一鉢(さんえいっぱち)です。
他にも生活する上で許されることや物もありますが割愛致します。
インドの僧侶生活はなかなか面白いエピソードもあり、機会が有れば書きたいと思います。
インドから、ヒマラヤ山脈を超えて中国に仏教は伝わりますが、当然寒いですから袈裟では生活できません。そこで、袈裟の下に着る衣が必要になります。
そうなると当時の中国で着られていた衣装が
採用されることとなりました。
それが、今日本のお坊さんが着ている衣の元になっています。
当然律衣(戒律を守る僧侶が着る衣)
が古く、伝教大師も
奈良東大寺で具足戒を受けているので、生涯律衣でした。
比叡山の浄土院は律衣です。
伝教大師は小乗戒(上座部)は必要ない
必要ない戒律が多すぎるため
日本は大乗相応の国である。
法華経の教えを中心とした全ての人が悟ることができる救われる教えがふさわしい国であると言われています。
大乗の菩薩僧は大乗戒が良いとされ戒檀院を比叡山にと、奏上して勅許を受けました。
梵網経に説かれるところの
十重四十八軽戒を菩薩僧の戒とされました。
天台宗では衣は、直裰(じきとつ)中国の唐の時代から伝わる僧侶の平服です。
に袈裟を着けます。
基本は如法衣です。
おそらく平安初期の天台宗の僧侶は一般的に直裰と如法衣しか持っていなかったでしょう。
袈裟が無ければ平服ですから、生活の全ては直裰で過ごしていました。野良仕事も、事務仕事も、食事も直裰しか持っていなかったのでそれで生活しています。
袂を結んだり、結えたりしたでしょう。
夏衣も冬衣もなく、夏衣ができたのは近年です。
昔は今ほど気温も高くはなく、
主に山での生活ですから夏もそれほど暑くなかったと思われます。
この、スタイルが基本です。
ここまでは、インド、中国、日本のお坊さんの衣、袈裟もたいへん質素なものだったのです。
しかし、ここから日本の比叡山で大きな変化が起きました。
天台宗第十八代天台座主慈恵大師良源
の登場です。
メールマガジンをご希望の方はメールアドレスをご登録ください。
[wysija_form id="2"]平日でも事務所不在の場合がございます。お手数ですが後日おかけ直しいただくか、お問い合わせフォームよりご連絡ください。